石川けんじ
石川けんじ石川けんじ

普天間基地問題で意見書を提案しました。

6月17日に行われた、川崎市議会定例会最終日に、普天間基地に関する日米合意の撤回を国に求める意見書の提案を行いました。発言の内容は、次のようなものでした。

政府は5月28日、「国外、最低でも県外」という公約を破り、米軍普天間基地の移設先を沖縄県の名護市辺野古にすることを明記した「日米合意」を共同発表しました。この政府の態度は、県内移設反対という沖縄県民の総意よりも米国政府の意向を最優先したものとして、沖縄県民をはじめ国民の大きな怒りを呼び起こし、その怒りは、鳩山首相を退陣に追い込みました。しかし、政権を引き継いだ菅首相は、首相に就任する以前の6月6日、オバマ大統領と電話会談を行い、普天間基地の「県内移設」の「日米合意」について、「しっかり取り組んでいきたい」と誓約し、「日米合意」を推進する立場を表明したことはきわめて遺憾と言わなければなりません。

菅首相自身、かつて「海兵隊は日本を守る部隊ではない。」「海兵隊は即座に米国内に戻ってもらっていい。民主党が政権をとれば、しっかりと米国に提示することを約束する」と発言をしていました。それを覆し、海兵隊を「抑止力」と開きなおる姿勢は、許されるものではありません。

沖縄県民は普天間基地の県内移設に反対し、無条件撤去を要求しています。県内移設に絶対反対との総意は、沖縄県の知事、全党派の県会議員、県内市町村議員を含め9万人が参加した4月25日の県民大会、沖縄県議会の決議、全市町村長の反対表明でも明らかであり、「日米合意」直後に、琉球新報と毎日新聞が合同行った県民世論調査では、辺野古移転に反対が84%となるなど、マスコミの世論調査などで明確です。

もともと、米軍基地は、アメリカ軍の占領下、国際法にも反して、畑や民家、先祖の墓まで没収され、作られた経過があります。さらには、戦後65年間、戦争と隣り合わせの生活を押し付けられる中で、決して忘れることのできない、痛ましい事件・事故も多く引き起こされてきました。

沖縄県民の怒りは、こうした重圧と悲劇の累積の上に広がっており、この沖縄の情勢は、後戻りすることはない、いわば限界点を超えた情勢にあります。

菅首相は、6月15日、首相官邸で就任後初めて沖縄県の仲井知事と30分間会談しました。菅首相が「日米合意を踏襲する」表明したことに対し、「県民の期待が失望に変わり、その落差が大きい。共同声明は遺憾だ。」と述べたうえで「(辺野古移転の)実現はむずかしい」と改めて伝えたと報じられいています。

県民の総意に反する「県内移設」という方針では、絶対に沖縄の県民の合意は得られません。

さらには、日米共同発表は「二国間及び単独の訓練を含め、米軍の活動の沖縄県外への移転を拡充する」とし、訓練の移転先に「徳之島」を明記しています。「日本本土の自衛隊の施設・区域も活用」し、米軍の危険な訓練を全国に拡散することなども、もとの自公案にはない計画で、最悪の提案と言わなければなりません。とりわけ、沖縄に次いで米軍基地が集中し、自衛隊基地も多い神奈川として無視できない危険な内容です。

よって国に対し、「日米合意」を撤回するよう強く求めるものです。

この意見書の提出には、日本共産党の10名と無所属議員1名の賛成がありましたが、「賛成少数」で否決されてしまいました。反対した議員の人たちは、沖縄の人たちに犠牲を強いても構わないというのでしょうか、疑問の残る採決となりました。