石川けんじ
石川けんじ石川けんじ

陸前高田への支援を行いました。

 

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津波被害が深刻だった陸前高田市を10月17、18日に訪れました。「川崎民主市政をつくる会」が呼びかけたものです。7月に訪問した石巻市も深刻な被害に言葉を失いましたが、陸前高田市の被害も、まさに、「根こそぎ」という言葉どおり、津波にさらわれ、土台しか残らなかったまちが、どこまでも広がっていました。

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18メートルに看板の下まで達した波は、高い看板も破壊し、4階建ての市役所も飲み込みました。何とか、屋上の屋根に逃れた人たちも、その夜は、真っ暗な中、寒さと不安におびえ、夜を明かしたといいます。

被災から7か月、住民からは「あの時、こうすればよかった」「指示は正しかったのか」など責任を問う声も出始めていると言います。ぶつけようのない、悲しみやくやしさがこうした声の背景にあるように思いました。

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私たちは陸前高田市の日本共産党と「市民の声」の皆さんが共同で運営している「共同支援センター」を訪れました。ここでは、毎日バザーを行い、無料で全国から寄せられる物資を希望者に提供しています。また、仮設住宅へ訪れ、出張バザーもコーディネートしていて、住民から大変喜ばれていました。

2日目は、川崎から運んだ2トントラックいっぱいの支援物資を3か所の仮設住宅に運びました。これから、寒くなる時期、毛布など防寒のものが喜ばれていました。

陸前高田市は、民主的な市政を実現したまちです。8年前、リゾート開発優先の市政に広範な市民に押されて共産党市議だった中里さんが立候補、保守の方たちとの連携を行い、「市民の声」という名称で、緩やかな協力関係を築いてきたと言います。その結果、大方の予想に反して「中里市政」の誕生。はじめは、軽トラックで登庁した中里市長、多くの市民に親しまれていたといいます。2期8年の中で赤字だった市民病院を黒字にするなど財政も建て直しました。しかし、任期途中で、癌であることが判明、現在の市長にバトンタッチした矢先の震災でした。

民主的な市政で培われた住民自治は、復興にも大きな力を発揮していると思いました。仮設住宅でも自治会が作られ、住民の要求の取りまとめを行っていました。

共産党議員団長の藤倉市議は、「川崎市の選管の方には、ほんとにお世話になりました」と私たちにお礼を述べ、「全国からの支援が、大きな励みとなりました」と私たちを送り出してくれました。被災地の議員は、本当に大変だなって思います。ご自分も被災者、仮設住宅から通う議員もいます。困難を抱えながらも復興支援の先頭に立つ共産党市議の姿を見て、議員としての使命を改めて胸に刻んだ2日間でした。